廃墟という言葉には、なぜか懐かしさがある。
瓦礫と煙、色褪せたビル群、そしてそこに残された音の残響。
この詩は、その「残響」に耳を澄ますところから始まる。
あの日、瓦礫の隙間で見つけた声が
まだ胸のどこかで鳴っている
崩れ落ちた都市の一角で、偶然拾った「声」。
それは叫びだったか、ささやきだったか。
言語でもなく、記憶でもなく、もっと深い場所に直接届く“何か”。
「声」は現実の音ではなく、心に焼きついた残像のようなものかもしれない。
その声は、日常が崩れた後でも消えずに、胸の奥でくすぶっている。
涙は枯れ、言葉は剥がれ
それでも、灰色の空を見上げた
絶望の中では涙さえ出なくなる。
言葉を失うほどの痛みを超えた先にあるのは、無音。
だけど、それでも人は空を見上げる。
それが灰色で、絶望しか返ってこなくても――。
灰色の空には、感情の余白がある。
カラフルじゃないからこそ、静かに祈る場所になりうる。
誰も知らない祈りを
わたしは今日も、こっそり燃やしてる
祈りという行為には、「誰かに届けたい」気持ちがある。
だがこの詩では、それを“こっそり”と“燃やしている”と言う。
誰にも見せない、自分だけの儀式。
希望ではなく、執念でもなく、ただ静かに消えない灯火。
それは「生きる」こととは別の次元かもしれない。
存在証明でもない。
むしろ、失われたものを、ひとりきりで弔うような行為。
この祈りが誰にも届かなくてもいい。
それでも燃やさずにはいられない衝動が、ここにある。
この詩が内包するのは、誰にも説明できない個人的な感情の断片。
それは一見、日記のようでありながら、見る者・読む者によって別の意味を持ち始める。
感情はパンクで、語彙は沈黙に近い。
そんな余白の美学にこそ、破片のような詩が宿る。
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